2011年4月17日日曜日

通貨経済学入門(3) 通貨制度の歴史

地震の影響もあって中断していた読書感想文を、再開しようかなと。
sengoku39という名前で登録されているブログってけっこう多くて(そりゃそうだわ)、ググると「成り行きまかせでフィリピーナと付き合ってみる」というページが最上段に表示されます。
私じゃないですよとことわりを入れつつ、通貨経済学入門の続きです。

第3章 通貨制度の歴史
・金本位制(1880~1913)
ここ数年、対ドルの価格が上昇し続けている「金」。
1880年から1913年、「金本位固定相場制」が敷かれていた。
「金の対称性」・・・すべての先進国が自国通貨に金をリンク、外貨準備として金を保有

・世界大戦(1918~1939)
第1次世界大戦で、軍事支出のための紙幣の大量発行→シニョレッジで賄う→ハイパーインフレ
ドイツでは賠償金を支払いのため通貨を大量発行によるハイパーインフレ(→現在はこれがトラウマとなり、インフレ抑制を優先する金融政策を採る)
1929年、大恐慌→ボラティリティ上昇→対策として、資本移動制限、関税政策、通貨安政策、ブロック経済→第2次世界大戦

・ブレトンウッズ=IMF体制(1945~1971)
2つの機関を設置
IMF(国際通貨基金)
IBRD(国際復興銀行、通称は世界銀行)
3つの機能
アジャスタブルペッグ制・・・金・ドル本位制。金かドルで自国通貨の平価を宣言し、それ基準に上下1%のターゲットゾーン。1オンス=35ドルの交換を保証
多角的決済システム・・・国際資本移動規制
SDR(IMF特別引出権)による国際流動性供給・・・加盟国の収支不均衡に対して、IMFからの短期資金融通。ドルが中心。→国際準備はドル中心。基軸通貨としてドルの地位が確実化

・ドル危機(1960年代)
1960年代、金価格の高騰。米(国では、ベトナム戦争激化による財政赤字、シニョレッジによる赤字補填、インフレ進行。)

・ニクソン・ショック(1971)
1971.8 ニクション・ショック
金・ドル交換停止、輸入課徴金、賃金物価凍結などの経済政策
1971.12
スミソニアン協定→金価格を1オンス38ドル、円の対ドルでは1ドル360円から308円
しかし、1973年には再びドル下落開始→変動通貨制への移行。「変動相場制下のドル本位制」
EC諸国はスネーク制

・ドル本位変動相場制(1971~)
キングストン合意(1978.4)・・・変動相場制を追認
為替レート調整の転機となった3大合意
☆プラザ合意(1985.9)
1985念半ば、ドル高がピークに→海外製品の大量流入と国内産業の空洞化→G5(日・米・英・独・仏)の蔵相によるドル高是正
1ドル263円から1ドル150円に急落
☆ルーブル合意(1987.2)
G5で。ドル暴落の阻止。
非公式の目標相場圏を設定
当時の水準(対円では1ドル153.5円)の上下2.5%にレファレンスレンジを設定。対象は、米ドル、西ドイツマルク、円。
→1987.10のブラックマンデーで崩壊
☆クリスマス合意(1987.12)
G5にカナダ・イタリアを加えたG7
米ドル安定化のための協調介入

・スネーク制
1972~1974年、欧州での対ドル共同フロート。スミソニアン協定より狭いレンジの変動を認める。
1974年にフランスが脱退して終了。

・EMS
1975 EUA(European Unit of Account 欧州通貨単位)
→1979年にEMS(European Monetary System:欧州通貨制度)ができてからは、ECUと名を変える
(ユーロの前身)
欧州の貿易構造として、域内貿易比率が約60%と高い。ドル排除の傾向。

・新ブレトンウッズ体制
ドル以外に、
・準基軸通貨としてのユーロ
・そのほか東アジア、南米、中東などの台頭
しかし、インフォーマルな体制。協調体制が成立しておらず、安定性に欠く可能性。

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おおまかに見ると、通貨のモノサシが、金(or ポンド)→ドル→多極化(ドル+ユーロ(+その他))と変遷していっているのがわかる。
ドルをめぐる動きとしては、たとえば米国の通貨大量発行によるドル安などで一方に偏り、それを是正する大きなイベントとして協調介入が発生し、修正されている。

1971年~2011年までのドル円のチャートを、コロンビア大学のサービス(http://fx.sauder.ubc.ca/)を借りて表示してみた。
(このサービスは、豊富な通貨ペアと長期チャートを見ることができるので、なかなか面白い)
この40年は一貫して円高に向かっているものの、大きなイベント毎に反転が起きているのが何となくわかる。

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